web漫画批評 blog

ガケ書房さんのこと

4月 20th, 2013


弊誌はもう2年半近く出せてません。
出そうとは思っているんですよ。ええ。

ただ、なにせワタクシがほぼ一人で作っている雑誌。
制作はもちろんのこと販売や営業や経理もやっております。
もちろん資金調達も一人なワケです。
ここに目処が立たないと作るに作れないわけですね。

閑話休題。
書店は(株)地方・小出版流通センターさんという取次を通して
全国約100店で販売して頂いているほか、その他の新刊書店でも
注文してもらえれば卸せるシステムになっています。

その他の販売場所としては、イベントでの直接販売。
コミックマーケットとか文学フリマとかに出展して売るわけですね。
あとは直接取引している書店さん。
いわゆるミニコミとか同人誌とかそういうものを扱っているお店です。

京都に「ガケ書房」という、我々のようなリトルマガジンを好意的に
扱ってらっしゃる書店さんがあります。
何年か前、ここに『漫画批評』が置いてあった!と
知り合いのカメラマンさんに教えて頂いたことがありました。

いや、でも卸してないんですよ。ガケ書房さんには。
数冊卸しても、京都までの送料と振込手数料を考えると割が合わない。
よって基本的に地方の直接取引はやらないようにしていますから。
地方・小さん経由で、京都には別に扱い書店がありましたので
無理して販路を作らなくてもという思いもありました。

てなわけでカメラマンさんには大変申し訳ないのですが
それは見間違いだということに勝手に決めつけ
自分の中では解決していたのですが、
先日の文学フリマ時にガケ書房さんに行く機会に恵まれまして。
店主の山下さんにご挨拶しつつ、疑問をぶつけてみたんですね。

「ガケさんに弊誌が置いてあったという話を聞いたんですが……」
「ああ、置いてましたよ。取次から仕入れました」
な、なんと!

上記のように、弊誌は注文すれば新刊書店に卸せるシステムです。
そしてガケ書房さんは新刊も扱っている(番線を持っている)。
だから、一見不思議はないことのように思えるのですが……。
なぜ「注文なら卸せる」のかといえば、実は買切制だからなのです。

書籍や雑誌は、基本的に委託販売。
そうでないと売れないときのリスクが大きすぎて、店頭に商品を
並べられず、書店はバンバンつぶれてしまうわけです。

ガケ書房さんはリスクを犯して、全く知名度のない弊誌を発注し
しかも売り切ってくれた(既に在庫はありませんでした)。
なんと酔狂な! じゃなくて、なんとありがたい!

次号が出たら、改めて直接取引して下さいとお願いしてきましたが
こういう恩を受けたお店のためにも、もうそろそろ本当に次号を
出さなきゃダメだなと心から思いました。
来週は時間に余裕があるから、ちょっと頑張らないと。


 

ここのところ、CDを全く買わなくなりました。少なくとも、昨年初頭から1枚も買っていません。買いたいものがないんだもの。じゃあ何を聞いているかといえば、過去のCDです。

1970年代の音楽と80年代の音楽を聞き比べると、時代の変化というものを大きく感じます。日本の音楽も、海外の音楽も大きく変化している。音質など機材的な影響もさることながら、メロディやアレンジなど音作りも大きく進化したのが誰にもわかる。80年代と90年代の音楽もまた違う。電子楽器が大きく進化して、音作りは大きく変わった。実験的に使われていたシンセサイザーはこなれてきて、日本ではコムロサウンドなんてものも登場し、良かれ悪かれ従来とは違うものがガンガン生まれていたと思います。

では90年代と2000年代はどうなのか。少なくとも「10年前の音楽を聴いて古くさいと思う」ことは、めっきり減ったと思います。懐かしいとは思っても。2010年代はさらにそれが進んでいる。僕が新しい音楽を真剣に発掘しようと思わなくなったのは、そういう理由だと思っています。持っている音楽で十分。CD-Rに焼いたモノを含めれば、500枚くらいあるし。著作権を侵害せずに個人で聞く分には、たまにレンタルする程度で満足。

 

おいおい。
「CD」が「漫画」になったら、大変なことじゃないか!
なんてことは思いません。状況が全く違う。

CDを買わなくなったのにはもう1つ理由があったのです。コピーコントロールCD、いわゆるCCCDです。PCや車載オーディオで聞けず、プレーヤーを壊しかねず、なおかつ音質が悪いという誹謗中傷の嵐だった悪名高きCCCDしか発売されていなかった2002~2004年頃、僕は1枚しかCDを買いませんでした。なんというかその時、CDを買わないことに慣れてしまったわけですね。余程、ロイヤルティのある人の音楽じゃない限り、買わないのが日常になってしまった。

 

閑話休題。
海賊版を防ぐためにCCCDを導入した結果、売上が2割減少するという前代未聞の迷走をした音楽業界は、さすがに最近ダッチロールから立ち直りかけたと思っていました。AKB48の影響とはいえ、売上回復してたし。

でもまあ、こんな寝言がニュースになるようだとやっぱりダメなのかな。
日本レコード協会では「海賊版を無料で配信する違法なサイトからダウンロードする人が、後を絶たないため」と分析しています。

そうかそうか。
コンテンツがパワーを失ったからとは考えていないのか。

 

CDというのは、デジタルであるが故に音質がほとんど劣化しない。自分がCDプレーヤーを買った1987年に購入したCDを、現在でも聞いています。つまり、代替需要というのがほとんど存在しない。LP時代の音源も、現在では主要なモノがたいていCD化されてしまいました。

つまり現在の音楽は、その膨大な過去の遺産と勝負しなきゃいけない。そりゃなかなかヒットもでないでしょう。ちょっと似ているだけでパクリだパクリだと言われる時代ですし。制作予算が減って、音楽を作り込めなかったり人材を割けなかったりでクオリティを上げられず、さらに音楽離れが進むという負のスパイラルにはまっている現実を本当に直視できていないのであれば、ちょっと恐ろしい。

いや、さすがにわかっていないはずはないと思うんですけどね。マスコミ相手にこんなツッコミ放題のコメントを出しちゃうのはあまりに脇が甘いでしょう。

 

なお、ネット配信が減少しているのは、1つにチャート上位をAKB系が占めているからだと思います。レコチョクや着うたで音楽を買っても、握手券や総選挙の投票権はつかないから。あとは単純に、ガラケーが減っている影響だと思います。すなわち、決済方法の問題。このあたりについては漫画を筆頭とした電子書籍にも同様の問題があって、そのあたりについては昨年末にコミックマーケットで発売された『マンガ論争8』という本に書いたのですが、早くAmazonで売ってくださーい。発売されたら、ここにも内容を書きたいと思います。

ヘッドホン

11月 12th, 2012

 

いまだにスマートフォンとは縁のない生活をしているわけですが、自分の使っているauW52Sというガラケーは、どうやら2007年の6月に発売された機種のようです。一カ月後くらいに機種変更したから……おおう、もう5年以上使っているのか!

当然、いろいろなところにガタはきます。本体は2年前に洗濯機で洗濯してしまい、同一機種変更をせざるを得なかったため、まずまず新しいのですが、付属品はそろそろ壊れてもおかしくない。ということで、カナル型のヘッドホンが壊れました。Lは聞こえますが、Rが聞こえません。

いまだにこの携帯を音楽プレーヤーとして使用している身としては、いっそスマホにしてまとめてリニューアルというのも一策なのですが、狙っているモデルはまだまだ高額。W52Sはトランスミッターを内蔵しているがゆえに、車載オーディオとしても使っておりますので、カーオーディオのアダプタも新たに購入せねばならない。しゃーないので、とりあえずヘッドホンだけ買い換えることにしたのわけですが、元阪神の遠山なみの完全なワンポイントリリーフなのであまり予算を割きたくない。

 

そういうわけで、2000円以下のインナーイヤーヘッドホン選びが始まりました。

 

W52Sは「ウォークマンケータイ」というサブネームのとおり、わりかし音楽再生を頑張ったモデルです。ヘッドホンも付属品としては悪くないもので(MDR-EX85SL相当=¥6195)、プレイヤーの余計な再生機能を全OFFすれば、それなりに満足のできる音が楽しめておりました。2000円の予算では、なかなかこの純正品に挑むのは難しゅうございます。

自分の音の好みは、できるだけクリアでフラット。いわゆるモニタースピーカー的なものが理想で、学生時代はテクニカのモニターヘッドホンをずっと使用していました。でも、低価格のヘッドホンって、たいてい過剰な演出がなされておりますよね。

 

結果として選んだのは、TDKのTH-EC40。「VOCAL」「LIVE」(TH-EC41)「MEGA BASS」(TH-EC42)三姉妹モデルの筆頭で、デザインは(色以外)同じですが、それぞれ音に個性があります。

最近のインナーイヤーホンは、家電量販店に行けば自分のプレーヤーで試聴できるのですな。他人が耳に突っ込んだヘッドホンを自分の耳に入れることに抵抗感はありますが、それでも音を確認してから購入したいという欲望には勝てず。

 

さて、こういう試聴の際にベンチマークとする曲が誰しもあると思います。自分の場合は、山下達郎の「Endless Game」、スティーヴィー・ワンダーの「Lately」なんですが、今回はT-SQUAREの「TRIUMPH」を加えて聞き比べてみたところ、姉妹品の2機種はもうひどいひどい。いや、ひどいというか、曲に合わない合わない。スーパーウーファーをドコドコ鳴らすような曲調以外は合いませんね。

TH-EC40にしても、正直なところ純正品には敵いません。購入後に自宅のオーディオ環境で聞きましても、音のクリアさに欠けるきらいがありますし、低音の緊張感も不足気味。でも音の聞き分けはある程度できる。イコライザを調整すれば、迫力もそれなりに出る。妥協できるレベルでした。

「とにかくいちばんいいヤツ、持ってこい!」的な買い物ができる身分ならいいのですが、貧乏性な自分としては、予算制限の中でモアベターを探る楽しさというのはまた違った面白さがあると思うのです。


 

お世話になっているライターの古田靖さんが編集長を務める、電子雑誌「トルタル」の3号がリリースされました。今号も自分は何も書いていないうえ、何もお手伝いできていないというていたらくなのですが、無料ですので、是非皆様ご覧下さい。
http://kanakanabooks.com/?p=364

iPhone/iPad/iPod touchの方はiBooks、AndroidスマホはHimawari Reader、Winパソコン・MacはReadiumで読むのがオススメです。kobo Touchでもだいたい読むことができます(動画以外)。よく分からないやという方は、こちらのガイドを参照してください。

 

さて、電子雑誌を紹介しておきながらなんですが、僕は電子書籍というものの将来性に対して、甚だしく疑念を抱いています。あるいは、希望を見いだせないという表現のほうが適切でしょうか。実は、そんな思いがより深まったきっかけが、この「トルタル」でした。

「トルタル」はEPUB(イーパブ)というフォーマットで作られています。前述したとおり、電子書籍のフォーマットとしては実に汎用性が高い形式です。アプリやソフトのダウンロードが必要ではあるものの、現在普及しているPC、スマートフォン、タブレット、電子書籍端末に概ね対応しているといえるでしょう。

システム的にはHTMLやCSSといった、通常はWebブラウザで閲覧データをまとめて圧縮し、パッケージ化したような形のものです。しかし、ブラウザで直接見ることはできません。専用のソフトやアプリが必要です。僕はchromeにReadiumというアドオンを入れて見ていますが、率直に言って不便なこと極まりありません。

まず対応ブラウザの問題。僕のメインブラウザはOperaですが、EPUBにまともに対応する方法は今のところありません。そしてしぶしぶchromeを立ち上げると、今度は時間的な問題が。EPUBをダウンロードするのに十数秒(「トルタル」は約6MBです)。そこからさらに、ブラウザにファイルを読み込むのに数十秒かかります。

 

そんな手間の問題より深刻なのが、EPUBならではのメリットが極めて少ないところ。EPUBが紙の媒体より長けているのは、文字や画像に加え、音楽や動画を組み合わせることができる点です。しかし、それはWebが見られる環境であれば、既にできること。

当然ですよね、EPUBは「Webブラウザで閲覧するものをまとめて圧縮し、パッケージ化したような形のもの」なんですから。そしてPCもスマホもタブレットも、Webを閲覧できるわけです。すると、優位性は「圧縮し、パッケージ化」という部分にしかないわけです。

EPUBがこういうものであることを、僕は恥ずかしながら「トルタル」に触れるまで、ロクに知りませんでした。そして知った結果、「ならばWebでいいんじゃないの?」と感じたわけです。

 

EPUB以外にも電子書籍と呼ばれる形式はあります。単純にテキストやリッチテキストにしたもの(書籍を元にしたものに多い)や、PDFやJPEGにしたもの(雑誌や漫画に多い)。つまり、電子書籍というオリジナルのカテゴリではなく、単純に紙を電子化したものです。

作家の京極夏彦さんが「電子書籍になると見せ方を考える人はほとんどいない」と仰ったようですが、至言だと思います。紙の置き換えとしての電子書籍に、大きな市場価値が見込めるとは思えません。電子書籍ならではのオリジナリティが欲しい。

それが将来的に生まれる可能性があるのか。僕は限りなく低いと思うのです。例外として「中規模メディア」には見出す余地があると思います(「トルタル」はまさにそれにあたるのです)が、それについてはまた、次の機会に。


 

本業の取材で企業などをお尋ねすることがしばしばあるのですが、先般お伺いしたとてもとても大きな会社は、美人な広報の方がすごく綿密な対応をしてくださいまして、取材に関係する資料をきちんとファイリングしてお渡し頂くという、ありがたいやら恐縮するやらの取材でありました。

ほへー、でっかい会社はやはりちょっと違うなぁーと実感したわけですが、資料の中で1点だけ「ん?」と思ったのが、頂いた資料の中に、その会社を取り上げた新聞や雑誌の記事をコピーしたものがたっぷり含まれていたこと。あれれ、そもそも著作物を無断でコピーして渡すことは著作権侵害だよね……という点はともかくとして、なぜ他社の記事をわざわざ資料として渡すのか?という疑問がふつふつと湧いたわけです。

もちろん先方は少しでも何かの参考になるようにと、善意でお渡し頂いたのだと思います。しかし自分は、ちょっと違和感を感じました。ビジネスの現場で、相手方に競合他社の商品を渡された。そう言い換えれば、ニュアンスが伝わるでしょうか。そんな自分が感じたこの違和感の正体を、上手く説明してくれる記事が『Business Media 誠』のコラムにありました。
http://bizmakoto.jp/makoto/articles/1210/23/news025.html

 

なるほど。新聞業界は減点方式なのだ。
「自紙だけが報じない」ことこそがマイナスで、加点はあまり関係ないのだな、と。

今回渡された資料には業界新聞や専門誌のものが多かったわけですが、これが一般紙ばかりだった場合、自紙だけに載っていない「特オチ」をすることが何よりの赤っ恥なのでしょう。なかでも記者クラブの記者にその傾向は顕著なようです。先般の大阪市長と『週刊朝日』の騒動では、会見を締め出されかけた『朝日新聞』の記者が、双方に対して猛烈な反発をしたことが容易に想像できますね。

 

雑誌業界は速報性を重要視しないし、各メディアの規模も小さいですから、どちらかというと「自誌だけが報じる」ことを重んじている媒体が多いと思います。特にリトルマガジンなど作っている自分は「他がやっているんなら、うちはやらなくていいか」という傾向が強いのでしょうね。隙間産業体質とでもいいましょうか。

常識的に考えれば「報じないことがマイナス」な媒体より「報じることがプラス」な媒体のほうが「攻めた」記事が多いわけですから、迂闊にダマされやすそうなもんです。それなのに大新聞が見事にダマされたというのは面白いもんだと思います。まあ雑誌はダマされても規模が小さいから、たいていがうやむやになってしまうんでしょうけどね。

「おわび」のやり方

10月 22nd, 2012

 

『週刊朝日』に掲載された橋下大阪市長の記事についての問題は、佐野眞一さんの連載打ち切りと、次号に「おわび」を掲載することでとりあえず一段落したようですが、一連の騒動を見ていて、いろいろと思うところがありました。被差別部落の問題を無配慮に扱うことが問題なのか、あるいは「放送禁止歌」や「屠場」に関わる表現のように、過剰自粛が行われていないかを注目すべきなのか、そのあたりが本来の主眼ではありましょうが、それとは別に、メディアが表現で揉めた場合、どうあるべきかも考えさせられました。
※余談ですが、自分が使っているPCの日本語入力システム「ATOK15」は「屠場」も「屠殺」も変換しません。

 

竹中平蔵さんがtwitterで書いています。
「いったい責任をどうとるのか」。
https://twitter.com/HeizoTakenaka/status/259495909170237440

基本的に僕は責任なんて取りようがないと思っています。殺人事件でも、風評被害でも、プライバシーの侵害でも、被害者とされる人が求めたいのは「原状復旧」。でも死んだ人は生き返らせられないし、記事を読んだ人の記憶を消すこともできません。今回のような場合、できることと言えば
1.賠償する
2.担当者・責任者が職を辞す、配転される
3.おわびの記事や放送を出す
4.経緯を説明し、再発防止を約す
くらいでしょう。

このうち1は相手が政治家ですから、公職選挙法などいろいろ問題がありましょうし、解決策には選ばれ得ないと思います。2 は解決になっているようで、実はそうでもない。4につながる2であればともかく、クビを切っても切られた人にデメリットがあるだけで、被害者とされる側に「溜飲が下がる」ということ以外、メリットがありません。つまりは3と4のセットしかやれることはないと思うのです。

 

以前から「おわび」については、いろいろと疑問を持ってきました。テレビはいつの頃からか、間違いがあっても「おわびして訂正します」という定型文を省くようになりました。新聞や雑誌は誤報を出しても、そもそもおわびの記事をなかなか出しません。先日のiPS細胞の件においては読売新聞などが、7月の東京の一部の区による防災演習拒否騒動については産経新聞がおわび記事を出しましたが、これはもう例外中の例外ですよね。

弊誌も問題のある表現をいくつかやってしまっています。誤字や脱字はきりがないほどやっています。中でも「やらかした」のは、第3号の表紙。古屋兎丸先生のインタビューに「中高生にショックを与えたい」 というサブキャッチを添えていますが、実際には古屋先生はそうはおっしゃっていません。「中高生にショックを与える覚悟はできている」というのが正確な表現で、インタビュー記事中にはそういう記述があります。編集者としてはギリギリセーフな表現と考えていましたが、ニュアンスが随分異なってしまうのは確かで、自分の判断ミスだったと思います。次号でどうお詫びするかは、ちょっと考えているところです。

「おわび」の扱い方については議論が分かれるところで、問題が裁判沙汰になり、裁判所に名誉毀損であると認められてしまった場合、おわびのページ数や文面はもちろん、文字はどのくらいの級数(大きさ)にするかまで、厳密に指定されます。この場合、「1ページの問題記事」>「1ページのおわび記事」となることが通例ですが、個人的には問題のあった記事や放送と同等の量ですべきだと思っています。今回の『週刊朝日』の記事は6ページだから、お詫びと検証記事で6ページ、ということになるでしょうか。表紙については……難しいんですよね。表紙に入れるのが、はたして贖罪になるのかという問題もありますし。

 

冒頭に戻って、竹中さんは「わかりやすい方法は、週刊朝日を廃刊することだ。」とも書いています。編集者としては、元大臣がこんなこと書いちゃうのが本当に怖いなあと思うのです。数十万部を売り上げている媒体を1つ潰すというのは、とんでもなく影響のあることです。今号の『週刊朝日』に掲載された6ページ(とか表紙とか目次とかもろもろ)以外の誌面、 そして今後掲載されるであろう誌面は、全く社会に益することがないのか。社会保険庁が不祥事を連発しても、機能は日本年金機構に引き継がれたし、警察官に不正が発覚したからといっても、神奈川県警は解体されないわけです。ミスはミスとして、意義のある部分は意義のある部分として、きちんと区別する必要があると思うのです。

橋下市長の取材拒否にもまた、同様の問題があると思います。地方自治体の首長が特定メディアの取材拒否をするなど、いかなる理由があろうとも、本来あってはならないこと。『週刊朝日』への取材拒否はまだしも、『朝日放送』『朝日新聞』への取材拒否は言語道断だと思います。『週刊朝日』からのおわびを受け付けるかは別として、取材拒否に関して市長は「おわび」をする必要があると思っています。相手に非があると思えば端的に主張し、抗議すればいいわけで、取材拒否を駆け引きの道具に使い、ごっちゃにして「ノーサイド」だなんて言っているのがそもそもおかしいのではないでしょうか。

 

ところで、今回の『週刊朝日』の記事。批判している方の中で、実際に読んだ人ってどれくらいいるのでしょうね。そんなに被差別部落について、書いてたかなあ?


 

雑誌というものはたくさん刷れば刷るほど儲かるモノです。
え、当たり前じゃん? と思われるかもしれません。
でも、その「儲かる」度合いが、ハンパない場合もあります。

 

弊誌の場合、実際に刷る部数がは1号あたり3000部。
このうち、実売部数は1200~1500部といったところです。

なぜこんなにたくさん刷りすぎてしまうのか。
それは1500部だけ刷ろうと、3000部刷ってしまおうと、
印刷代にさほど差はでないから。5万円ほどしか違いません。

昨日書いたとおり、弊誌はほぼ自分がセルフワークしています。
つまりコンテンツの作成コストは限りなくゼロに近い。
他のコスト(返本手数料、イベントなどの出店料などなど)を
考慮しても、【印刷代+α=原価】と考えて差し支えありません。

販売ルートによって、6 掛けで売ることもあれば、10割頂ける
場合もありますが、平均するとほぼ7割が収入といえるでしょう。

500円×7割=350円。
1200部売れれば42万円。
1500部売れれば52.5万円。
この間に、弊誌の損益分岐点があるとお考え下さい。

 

さて。
3000部 売れるとどうなるのか。105万円になります。
コストは5万円乗っかるだけ。50万円分、丸儲けですね。
1万部売れたら……うほほーい!

リスクは、保管場所だけ。湿気が防げる置き場さえあれば、
腐るもんじゃないですから、売れるまで置いておくことが可能。
いざ処分するときも、雑誌ですので無料で引き取ってくれる
古紙回収業者が山ほどあります。

だからついつい、刷りすぎてしまう。夢を見てしまう。
作っているときは「素晴らしい内容!」「きっと売れる!」と
思っていますしねえ。編集者なんてそんなもの。

 

しかし、弊誌の場合はその「保管場所」が問題です。
広くもない自宅のスペースを圧迫している。
発行から2年経った号が、いまさら大量に売れるわけもないので
先日、一定量を処分しました。いわゆる断裁廃棄です。

「捨てるくらいなら、イベントで安く売ればいいじゃん」
そういうご意見をお持ちの方も、きっといらっしゃるでしょう。
しかし、現在でも書店さんでは定価で扱って頂いている。
これまでお買いあげ頂いた方にも申し訳ない。
故に、値下げ・安売りをしない方針をとっております。

 

 

自分の雑誌を捨てるのは、さすがに忍びないものがあります。
本・雑誌ではなく、キロあたりいくらで計算する紙資源へと
姿を変えてしまう。製作の労苦は、0円評価に変わる。

だから、リトルプレスを作る方の多くは「刷りすぎない」 。
でも、それだと現状維持のサイクルから抜け出せないのです。

 

それでもさすがに、弊誌は次号の発行部数を減らすと思います。
一方で価格のほうは、ちょっと上げさせて頂くかもしれません。

ワンコイン500円という価格は、弊誌のクオリティを考えたとき
多くの方が「この金額ならアリ」「「損したとは感じないで済む」
ギリギリの金額を想定して付けたものです。
ただ、このままだと継続が困難になってしまいますから。
正式には次号が出てからご案内しますが、とりいそぎ。

blog復活しました。

10月 20th, 2012

 

長い間、リンク切れの状態にしておりまして、申し訳ありませんでした。

1年前にレンタルサーバーを変更しまして、そのタイミングでwebコンテンツの方はすぐに修復したのですが、そもそもwebのプログラムに関する知識が20世紀の状態から止まったまんまのワタクシは、wordpressのインストール方法などさっぱりわからなくなっておりました。そのまま放置すること1年。ようやく重い腰をあげて、なんとかアップした次第です。

しかし、いろんなテーマを入れてみても、「あれ?カスタムできなくね?」 。本格的にいじるには1からテーマを作らねばならないようだ。勉強し始めようと思ったのですが、「何がわからないかわからない」状態でして、試行錯誤すること1週間。「ああ、あの時はテーマ作成ジェネレーターを使ったのだ!」ということをようやく思い出して、なんとか本日復旧しました。おつかれさまでした。

 

閑話休題。

『漫画批評』は約2年間、新しい号を出すことができていません。理由は主に2つあります。
・手が足りない
・お金が足りない

実のところ、『漫画批評』という雑誌は、ほぼ発行編集人である自分が1人で作っています。「作っている」というのは編集や取材を1人でしているというのみならず、誌面の8割方を書き(既刊をご覧頂くと、文末に(W)と書いてある文章が異様に多いと思います)、99%のデザインを行い(表紙のみ、かすやかずのりさんにお願いしています)、全てのDTPをやっています。企画は編集協力に名前を記させて頂いている方に知恵をお借りする編集会議を開催しますが、まあほぼセルフワークなのが現状です。

ついでを言えば「作っている」のみならず、その他の作業も全てワタクシがやっています。取次・書店への営業や納品、 広告宣伝、イベントでの販売、他の媒体とのお付き合いや取材対応(あれば)、金銭管理まで。出版社でいえば、編集・執筆・校正・デザイン・製版・営業・総務・経理・広報を担当している感じでしょうか。そういう状況ですので、ちょっとでも本業(発行編集人はフリーの編集・ライターです)が忙しいと、完全に進行がストップするわけです。

年に2度は新しい号を出したいところなのですが、今後はますます厳しくなるだろうと 思っています。お手伝い頂ける方がいればいいのですが、弊誌は総ページ数の半分ほどは取材をして誌面を作っていますので、もっとも人出が欲しい編集・執筆の部分で相応のスキルが必要となってしまいます。拠点となる事務所などがあれば、Indesignぶち込んだPCを置いていろいろと手伝って頂く環境も作れるのですが、まさか自宅に人を上げるわけにもいきません。

 

もう1つの問題。実はこれだけの作業量、2カ月かかりっきりになれば1人でなんとかこなせます。 しかし、それではその間、無収入になってしまう。販売収入から労働量の幾ばくかを補填できればいいのですが、弊誌は「自分がただ働きしてなんとかトントン」という雑誌。印刷代を賄うのがやっと、むしろ取材経費や制作費は、毎号いくらか持ち出ししています。資料や製版素材として使う漫画はどうせ自分も欲しいモノだから、ということで自腹を切っています。

そんな状況ですが、実は3号はあまり売れ行きが芳しくありませんでした。1号>2号>3号と、徐々に実売部数が減っています。従って、基本的に前号の売り上げで次号の印刷代を捻出するというローテーションが崩れました。4号の費用については全く捻出できていません。

 

そういうわけで、なんとか年末にはお届けしたいと思っている第4号。正直なところ、厳しいなと思っています。心待ちにして頂いている方には申し訳ないのですが、こういう現状であることをご理解下さい。 現状を打破するには、どこかの石油王あたりがポン!と1000万円くらい投資してくれない限り、自分がなんとかするしかないわけでして、迷走しながらもなんとか前に向かっていこうと思います。