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「おわび」のやり方

10月 22nd, 2012

 

『週刊朝日』に掲載された橋下大阪市長の記事についての問題は、佐野眞一さんの連載打ち切りと、次号に「おわび」を掲載することでとりあえず一段落したようですが、一連の騒動を見ていて、いろいろと思うところがありました。被差別部落の問題を無配慮に扱うことが問題なのか、あるいは「放送禁止歌」や「屠場」に関わる表現のように、過剰自粛が行われていないかを注目すべきなのか、そのあたりが本来の主眼ではありましょうが、それとは別に、メディアが表現で揉めた場合、どうあるべきかも考えさせられました。
※余談ですが、自分が使っているPCの日本語入力システム「ATOK15」は「屠場」も「屠殺」も変換しません。

 

竹中平蔵さんがtwitterで書いています。
「いったい責任をどうとるのか」。
https://twitter.com/HeizoTakenaka/status/259495909170237440

基本的に僕は責任なんて取りようがないと思っています。殺人事件でも、風評被害でも、プライバシーの侵害でも、被害者とされる人が求めたいのは「原状復旧」。でも死んだ人は生き返らせられないし、記事を読んだ人の記憶を消すこともできません。今回のような場合、できることと言えば
1.賠償する
2.担当者・責任者が職を辞す、配転される
3.おわびの記事や放送を出す
4.経緯を説明し、再発防止を約す
くらいでしょう。

このうち1は相手が政治家ですから、公職選挙法などいろいろ問題がありましょうし、解決策には選ばれ得ないと思います。2 は解決になっているようで、実はそうでもない。4につながる2であればともかく、クビを切っても切られた人にデメリットがあるだけで、被害者とされる側に「溜飲が下がる」ということ以外、メリットがありません。つまりは3と4のセットしかやれることはないと思うのです。

 

以前から「おわび」については、いろいろと疑問を持ってきました。テレビはいつの頃からか、間違いがあっても「おわびして訂正します」という定型文を省くようになりました。新聞や雑誌は誤報を出しても、そもそもおわびの記事をなかなか出しません。先日のiPS細胞の件においては読売新聞などが、7月の東京の一部の区による防災演習拒否騒動については産経新聞がおわび記事を出しましたが、これはもう例外中の例外ですよね。

弊誌も問題のある表現をいくつかやってしまっています。誤字や脱字はきりがないほどやっています。中でも「やらかした」のは、第3号の表紙。古屋兎丸先生のインタビューに「中高生にショックを与えたい」 というサブキャッチを添えていますが、実際には古屋先生はそうはおっしゃっていません。「中高生にショックを与える覚悟はできている」というのが正確な表現で、インタビュー記事中にはそういう記述があります。編集者としてはギリギリセーフな表現と考えていましたが、ニュアンスが随分異なってしまうのは確かで、自分の判断ミスだったと思います。次号でどうお詫びするかは、ちょっと考えているところです。

「おわび」の扱い方については議論が分かれるところで、問題が裁判沙汰になり、裁判所に名誉毀損であると認められてしまった場合、おわびのページ数や文面はもちろん、文字はどのくらいの級数(大きさ)にするかまで、厳密に指定されます。この場合、「1ページの問題記事」>「1ページのおわび記事」となることが通例ですが、個人的には問題のあった記事や放送と同等の量ですべきだと思っています。今回の『週刊朝日』の記事は6ページだから、お詫びと検証記事で6ページ、ということになるでしょうか。表紙については……難しいんですよね。表紙に入れるのが、はたして贖罪になるのかという問題もありますし。

 

冒頭に戻って、竹中さんは「わかりやすい方法は、週刊朝日を廃刊することだ。」とも書いています。編集者としては、元大臣がこんなこと書いちゃうのが本当に怖いなあと思うのです。数十万部を売り上げている媒体を1つ潰すというのは、とんでもなく影響のあることです。今号の『週刊朝日』に掲載された6ページ(とか表紙とか目次とかもろもろ)以外の誌面、 そして今後掲載されるであろう誌面は、全く社会に益することがないのか。社会保険庁が不祥事を連発しても、機能は日本年金機構に引き継がれたし、警察官に不正が発覚したからといっても、神奈川県警は解体されないわけです。ミスはミスとして、意義のある部分は意義のある部分として、きちんと区別する必要があると思うのです。

橋下市長の取材拒否にもまた、同様の問題があると思います。地方自治体の首長が特定メディアの取材拒否をするなど、いかなる理由があろうとも、本来あってはならないこと。『週刊朝日』への取材拒否はまだしも、『朝日放送』『朝日新聞』への取材拒否は言語道断だと思います。『週刊朝日』からのおわびを受け付けるかは別として、取材拒否に関して市長は「おわび」をする必要があると思っています。相手に非があると思えば端的に主張し、抗議すればいいわけで、取材拒否を駆け引きの道具に使い、ごっちゃにして「ノーサイド」だなんて言っているのがそもそもおかしいのではないでしょうか。

 

ところで、今回の『週刊朝日』の記事。批判している方の中で、実際に読んだ人ってどれくらいいるのでしょうね。そんなに被差別部落について、書いてたかなあ?

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