あさってDANCE (2000.9.13)〔w〕
作 者 山本直樹
連 載 小学館『ビッグコミックスピリッツ』
単行本 小学館ビッグスピリッツコミックス[全7巻]
弓立社コミックス[全7巻]
太田出版OHTAコミックス[全4巻]
ストーリー  大学生のスエキチはしいじいさんの葬儀から帰った朝起きてみると、なぜか若い女と寝ていた。演劇に燃えるスエキチと、その部屋に何となく居着いてしまった女日比野は、スエキチに4億の遺産が転がり込んでくることを知り……
設 定  前衛的な漫画はその価値観を高めるための表現をしようとあせって、時にあざとさが目立ってしまうことがある。この作品でも妙に冷めた子供たちが登場していて、最も全面に登場するのはもちろんスエなのだが、最もあざとく出てくるのはクリスマス会のお芝居でスエキチに話しかける妙に冷めた園児で、非常にみにくい。あくまで「匂わす」程度でいいのにわざわざ具象的に描いてしまう点が、攻撃的で退廃的な雰囲気を助長させていると云えるが、妙に厭世的な雰囲気を作り出す必要が何処にあったのだろうか。もちろん、それは「作者の自由」と云われてしまえばそれまでなのだが、厭世という要素に対して大多数の人間が価値観を感じないのもまた事実ではないかと思うのだ。
 また、「厭世」が前に前に露出してしまったため、作品の輪郭がはっきりしなくなる。そもそも、この作品に対して作者は描きたいモノ、主張したいコトが具体的にあったのだろうか。漠然とした世界観や雰囲気然とした指向性は確かに伝わってくる。しかしそれは80年代後半から90年代にかけて急速に増長しだした、理論と根拠のない「観念」を最上の価値と見なす芸術論を踏襲しているに過ぎない。特に中高年には全く認められなかったこの文化傾向は、世代間のギャップの促進や価値観の多様性の否定のみならず、表現者の説明力を一挙に失わせた。「わかる人にはわかる、わからない人はそれでいい」という、何処か斜に構え、自分と価値を共有しない人間をバッサリ切り捨てるこの考え方は、一方で特に若い人間に対する一層の偏見を生みだしてもいる。
 だが、他方で自然浄化的にこれと逆行する流れも生まれた。「芸術はそもそも感覚的に生まれるものだから」という考えに基づき、こういった感覚的表現をより理論的な表現法に近づけた形で表したのがそれで、折衷文化ながらまた独自の道を歩み始めている。この作品もまたその流れの中に位置づけられるのだろうが、ただ一つ、多用な解釈を読者に求めていない点が面白い。メジャー誌に連載されていた関係もあるのかも知れないが、性表現以外の部分で特別前衛的・攻撃的な手法は取り入れていない。つまり、普通に読む人にとって決してわかりやすくはないが、作品としてこういう存在があることを認めるのにやぶさかではないといったものであるのだ。いわば、完全に「マニアの特権」である存在に成り得ていないところが、この作品の最大の長所であり、短所であるのだろう。
シナリオ  おそらく意図的に構築したであろう、かなり偏向的な虚無感がやはり目に付く。原因は「遺産」「セックス」「ヤクザ」「借金」というかなりわかりやすく、王道的な要素から「頽廃した大学」「バツイチ」「演劇」という比較的ネガティブなものまで、殆どが設定上のものだ。しかし、それをシナリオが最大限に煽る。日比野に振り回されるスエキチを描いているようで、実はストーリー自体がかなり振り回されており、冷静に経過観察してみるといつの間にか演劇は消えているのにびっくりする。少なくとも作品の初期は演劇の世界か、性の倒錯を描いているとしか思えないのだが、どちらもいつの間にか微妙に変化してしまった。
 しかしながら、これを大して不満に感じないのは感覚派の面目躍如といったところだろう。つまるところ、作品全体に脈絡と言ったものがない。一回一回の終わり方も実に場当たり的で、次回への引きになっていたりなっていなかったりが全くランダムであり、唐笑やヤクザといった妙に強調した存在を登場させておきながら、投げっぱなしだったりする。シナリオを少年誌風の作為的な盛り上げ方になることを嫌い、淡々と事件的に描くいわゆる新種のリアリズムともまた違うもので、明確な意図が掴みづらい。だが、最初からそんなことは求めていないし、考えてもいないのだと開き直られてしまえば、そういうものかと納得せざるを得ない。最初からそういった意味の期待を与えているわけではなく、読者も意識的無意識的にそれを認識していると思うので、敢えてそれでも否定するようなものではなくなっているのだ。
キャラクター  シナリオがシナリオであるので、個々のキャラクターを分析するのは、難しいと云うより空しい行為だろう。ただ、目に立つキャラクターがいくつか見られるのは嬉しいところだ。
 まず、フレディ君という不法就労者が全面に出てくるのが面白い。もちろん外国人の不法就労という問題に一石を投じる意味を込めて描いたかどうかは棚上げした上での話で、奇想天外な着眼点は文句ナシに素晴らしいし、バーガー屋の店長やムナカタなどの「クセ」のあるキャラクター作りも力量を感じる。それらのキャラクターの配置や、登場のさせ方には異論や疑問も多々あるだろうが、キャラクターを創り出す力については文句の付け所はない。
グラフィック  どうしても触れざるを得ないのが、性表現についてである。女性の描き方では独自の流れを生み出し、さらにそれが完全に成熟したのがこの作品であるのだろうが、それにしても痩身でエロティシズムを感じる女性を描くにあたり、おそらく作者の右に出るものはいないのではないかと思わせる筆力がある。しかし、ここまで個性的であり、特徴的でありながら決して完成度の高い絵ではない。実際にこの絵が似合う女性は、決して良妻賢母型の古風なキャラクターではなく、日比野に代表される破天荒で奔放なキャラクターに限定されてしまう。だが少なくともこの作品においては、結果的にストーリーに、キャラクターにマッチングした絵柄であったことは間違いない。
 背景やその他の部分は、びっくりするほど特徴がない。特徴がないのが特徴と持ち上げるのもためらわれ、ソツがないと言うより程々の長所と程々の短所が入り乱れている。シンプルで見やすい背景があったかと思えば次回では薄汚れて見えてしまったり、全体的にバックが真っ白のままと云うところに不満を感じれば、夜の暗がりを全部ベタで塗りつぶすという大胆なこともやる。良いのか悪いのか、ムラがありすぎで一概に判断が出来ない。
装 丁  特徴はない。表紙の日比野もタイトルのロゴも、背表紙も中表紙も、取りたてて強調すべきものが見つからない。無難と云うよりは平凡な印象だが、新版の方ではやや趣が異なる。サイズもアップし、精錬された作りだ。ただ、はたして内容とマッチングしているかというと多少の疑問は残るのだが。
余 談  この作品の終了後に世間を揺るがした「有害図書」騒動については、記憶にある人も多いことだろう。作者はこの問題で、表現を保護しようとする側から御輿に担がれ、少なからず騒動に踊らされた印象がある。結局この作品を含め、少なくない数の漫画が成人指定を受けることになったわけだが、この結果に個人的には特に疑問は感じない。
 例えば実写の映像で男女の局部を映すことは禁止される。性描写も成人指定、R指定という基準で一定の規制を受けているのだが、これは実写でなくても、つまりアニメや人形であっても同様の基準に基づいている。一方で静止している実写媒体、つまり写真では、これも局部を映すことは禁止である。では静止しているが実写媒体ではない漫画はどうなのか。 映画とアニメが同一の基準に基づいている以上、写真と漫画を同じ基準で扱うことは致し方のないことではないか。あるいはストーリー性を持つ漫画を一枚の写真と比較することはナンセンスではないかとの反論もあるだろうが、例えば一齣漫画とストーリー漫画を区別・峻別するのは難解な問題をはらんでいるし、カットのかわりに写真を貼り付けた「実写漫画」が登場した場合、基準がより難しくなる。これは実際に4コマの形では河合克敏氏が『帯をギュッとね!』の単行本で行っていることでもあり、映像作家や絵を描けない原作者などが将来的に行われないともいいきれないだろう。
 少なくともこの作品には性器の描写がある。性器を結合しているシーンもある。実写ではあり得ない、女性の中にある男性器を描くという、実にセンセーショナルなカットさえある。その存在の是非は問わないが、「芸術」や「文化」という題目で規制を否定することはやはり無理があるのではないかと思うのだ。