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大長編ドラえもん (1999.12.22)〔w〕 |
| 作 者 |
藤子・F・不二雄
(Vol.1〜7は「藤子不二雄」、Vol.8は「藤子不二雄F」。Vol.17は途中から藤子・F・不二雄プロが著作。Vol.18以降は藤子・F・不二雄プロによる著作) |
| 連 載 |
小学館『コロコロコミック』『ドラえもんクラブ』
※Vol.1の下地となる短編版「のび太の恐竜」(小学館『増刊少年サンデー』連載)は除外した |
| 単行本 |
小学館カラーコミックス『映画まんがドラえもん』[全4巻]
小学館てんとう虫コミックス[続刊中]
Vol.1「のび太の恐竜」
Vol.2「のび太の宇宙開拓史」
Vol.3「のび太の大魔境」
Vol.4「のび太の海底鬼岩城」※
Vol.5「のび太の魔界大冒険」
Vol.6「のび太の宇宙小戦争」
Vol.7「のび太と鉄人兵団」
Vol.8「のび太と竜の騎士」
Vol.9「のび太の日本誕生」
Vol.10「のび太とアニマル惑星」
Vol.11「のび太のドラビアンナイト」
Vol.12「のび太と雲の王国」
Vol.13「のび太とブリキの迷宮」
Vol.14「のび太と夢幻三剣士」
Vol.15「のび太の創世日記」
Vol.16「のび太と銀河超特急」
Vol.17「のび太のねじ巻都市冒険記」
中央公論社藤子不二雄ランド「映画原作大長編ドラえもん」[全9巻]
小学館コロコロ文庫[全17巻]
※『コロコロコミック』連載中に「のび太の海底城」から改題
※他にムックの形での単発刊行多数 |
| ストーリー |
「のび太の恐竜」
スネ夫に恐竜のツメの化石を自慢されたのび太は恐竜まるごとの化石を発見し、もしできなかったら鼻でスパゲッティを食べてみせると宣言してしまう。穴を掘って恐竜の化石らしいものを発見したのび太はタイムフロシキでかえそうとするが、出てきたのは本物の恐竜、フタバスズキリュウのピー助だった。しかし、大きくなったピー助を白亜紀の世界に返そうとしたのび太たちはタイムマシンの故障で現代に帰れなくなり……
「のび太の宇宙開拓史」
いつもの空き地を占領されてしまったジャイアンとスネ夫はのび太に野球をやる場所を探せと命令する。超空間の歪みでのび太の部屋の畳の下がコーヤコーヤ星に通じてしまい、ロップル君、チャミーと友達になったのび太とドラえもんは、みんなを連れてコーヤコーヤ星へ遊びに行く。しかしコーヤコーヤ星で悪事を尽くすガルタイト鉱業にたびたび邪魔をされ……
「のび太の大魔境」
夏休みに探検旅行をしたいのび太は、ドラえもんに頼んでまだ発見されていない魔境を探してもらう。ジャイアン・スネ夫・しずかと、空き地で拾った野良犬ペコをつれてアフリカへ旅発ったのび太とドラえもんは便利な道具に頼りすぎてしまい、ジャイアンをスネさせてしまう。道具をおいて再び出かけたのび太たちは数々の危険に直面するが、どこでもドアで帰れなくなり……
「のび太の海底鬼岩城」
キャンプを計画したのび太たちは海底を探検することに決める。協力して宿題を終わらせ、出かけた海底は迫力満点のスリリングな世界だった。しかし、宝探しをしたいジャイアンとスネ夫はバギーに乗って勝手に大西洋へ向かってしまう。水中で生活できるテキオー灯の効力が切れた2人は気絶するが、後を追ったのび太たちが追いついてみるとなぜか平気な2人がいた……
「のび太の魔界大冒険」
魔法の世界の夢を見たのび太はドラえもんに頼んでもしもボックスを出してもらううが、しかし魔法の国でもやはりのび太はのび太だった。少しでも魔法を覚えようとほうきに乗って高井山に出かけた二人としずかは、そこで満月博士とその娘の美代子と出会う。しかし家に帰ってみるともしもボックスはゴミに出されてしまっていて……
「のび太の宇宙小戦争」
プラモデルで映画を撮ろうとしたスネ夫とジャイアンから仲間はずれにされたのび太は、ドラえもんとしずかに助けを求める。撮影に失敗したのび太たちが帰ってみると、家にはおやゆび程の大きさの宇宙人、パピがいた。スネ夫の家では正体不明のクジラのような宇宙船にプラモが壊され、頭に来たスネ夫とジャイアンはのび太の仕業だと家に押し掛けるが……
「のび太と鉄人兵団」
スネ夫にロボットのプラモデルを自慢されたのび太は北極で巨大なロボットのパーツを見つける。置き場に困ったのび太とドラえもんは鏡面世界を作りそこにパーツを置くことにするが、動かし方がわからない。何とかドラえもんに頼んで動かせるようにしてもらうが、このロボットは実は巨大な破壊力を持つ兵器だった。一方で謎の美少女がこのロボットを探していて……
「のび太と竜の騎士」
0点のテスト束を隠す場所に困ったのび太はドラえもんに巨大な地下室を作ってもらう。みんなの地下室にするため地中を拡幅するが、奥へと深く進んだスネ夫は巨大な空間に恐竜の群れを見た。しかし、次の日ビデオを持って再び地中へ向かったスネ夫が行方不明になってしまう。残されたビデオを手がかりにのび太たちは多奈川の底へ向かうが……
「のび太の日本誕生」
家出を決意したのび太だが、持ち主のいない土地が見つからない。それぞれ家出をしたジャイアン・スネ夫・しずかに加えドラえもんも家出し、7万年前の世界に向かうことになる。それぞれ快適な生活をする中、時空乱流に巻き込まれた原始人クルルと出会う。精霊王ギガゾンビに家族を襲われたクルルを助けるためのび太たちは旅立つことになるが……
「のび太とアニマル惑星」
動物たちが暮らす絵本の世界のような夢を見たのび太は本当にその世界に巻き込まれてしまう。犬のチッポを助けたのび太とドラえもんはしずかをつれてもう一度動物の世界に向かうが、その世界は予想を遙かに超えた平和で進化した世界だった。一方のび太の後を付けたジャイアンとスネ夫は訳の分からない世界にまぎれこんでしまう……
「のび太のドラビアンナイト」
絵本の中に入れる道具でのび太はしずかを誘うが、アラビアンナイトの世界でしずかは行方不明になってしまう。問題の絵本を燃やされてしまい、のび太たちはあわててしずかを探し出かける。タイムマシンで古代アラビアまで出かけるが手がかりがつかめず、船に乗って東へ進むことになった。しかし雇った船頭は指名手配中の盗賊、カシムだった……
「のび太と雲の王国」
雲の上の天国に憧れるのび太はドラえもんに頼んで雲の上に王国を作ってもらう。楽園のような王国を作ったのび太たちは雲の上の生活を満喫するが、たまたま引っかかった山で巨大なカメに乗った男の子を見つける。さらに雲が流されてしまい、それを探すうちに絶滅したはずの動物がすむ雲の王国を発見するのだが……
「のび太とブリキの迷宮」
テレビを見ながら寝ていたパパが、寝ぼけまなこでみた「ブリキンホテル」からトランクが届く。のび太とドラえもんがその世界に入ってみると全てがブリキでできた不思議なホテルがあった。遊びに出かけたが怖くて戻ってきたのび太に対し、ドラえもんはなかなか戻ってこない。のび太たちは再びブリキの世界へ出かけるが、ドラえもんは連れ去られてしまい……
「のび太と夢幻三剣士」
好きな夢を自由に見ることの出来る道具を出してもらったのび太だが、なかなか思うような夢を見ることができない。新たに「夢幻三剣士」というカセットを手に入れ、ジャイアンやスネ夫、しずかを巻き込んで夢の中を冒険する。しかし、目が覚めてから現実世界に戻っても疲れが残ってしまい、現実と夢を入れ替えたのび太たちは……
「のび太の創世日記」
夏休みの宿題の自由研究で悩むのび太はみんなの宿題を参考にしようとするがあまり役に立たない。ドラえもんに泣きつき太陽系を作り出す「創世セット」を出してもらったのび太はついに地球を作り出す。しかし、その地球上では様々な問題が起こっていた。一方でジャイアンは裏山で怪しく光る巨大な虫に襲われるが……
「のび太と銀河超特急」
ドラえもんが22世紀のミステリートレインに申し込みをしてきた。便利でロマン溢れる列車の旅は途中多少の波乱があったものの無事のび太たちをのせた列車が到着した先はドリーマーズランド。夢一杯の楽しい星の遊園地だったが、のび太とドラえもんは西部の星、ジャイアンとスネ夫は忍者の星へとバラバラに行動してしまう……
「のび太とねじ巻き都市冒険記」
「生命のねじ」で動けるようになったぬいぐるみを飼う場所に困ったのび太は、ドラえもんが22世紀でもらってきた福引きのハズレくじで当たった小惑星に行ってみる。夢のような世界にぬいぐるみたちによる「ねじ巻き都市」を作ったのび太たちは、森の中に光るあやしい光を探検に出かける。しかしそこに前科百犯の脱獄囚熊虎鬼五郎がやってきて…… |
| 設 定 |
途中で作者が変わってしまった作品が同一の作品であるといえるのか。作中で登場する歌(もちろん映画の主題歌なのだが)も『ねじ巻き都市冒険記』までは武田鉄矢氏の手によるものだが、それ以降は違う。もちろん今後も「ドラえもん」は藤子プロの手によって続けられていくのだろうが、ここでは藤子・F・不二雄氏が逝去するまで(未完結作も含む)の17作品について主に批評していきたい。
さて、云うまでもなく「ドラえもん」の主人公はドラえもんとのび太である。これが大長編では全ての作品に「のび太〜」と明記しているように、あくまでのび太を主人公に据えている。作品中のセリフにも出てくるのだが、とにかく通常と比べてのび太が数段格好よく、勇気ある少年になっている。それにあわせてジャイアンの強さ、しずかのやさしさ、スネ夫の知性も強調されていて、それぞれのキャラクターを本編よりも決め打つことによって際だたせようとしているのがわかる。
そのメインキャラクターたちが初期には大活躍した。もちろん主役はのび太であるが、『大魔境』ではジャイアン、『海底鬼岩城』ではしずか、『宇宙小戦争』ではスネ夫がいわば「準主役」的な存在として位置づけられている。シナリオもそれにあわせて上手く描かれており、『大魔境』は神像の圧倒的な破壊力(=強さ)、『海底鬼岩城』は情に動いたバギーの活躍(=やさしさ)、『宇宙小戦争』はスモールライトの効果切れという非常に理知的な要素(=知性)で解決する。後にも述べるが、このメインキャラクターを描ききった『宇宙小戦争』以降、次第に設定の甘さが目立っていく。『日本誕生』は『恐竜』を、『アニマル惑星』は『宇宙開拓史』を、『雲の王国』は『竜の騎士』を、『夢幻三剣士』は『魔界大冒険』を、それぞれ回想させるような構成になっているのは、特に残念だ。
しかし具体的なシーンには数々の趣向が凝らされている。『海底鬼岩城』でバギーが身代わりとなる場面や『魔界大冒険』のドラミが登場する場面などシリーズ中最大のヤマ場と云われるシーンを、受けがいいからと繰り返したらい回すことは決してないし、作品タイトルとクライマックスの迫力シーン(『宇宙開拓史』の開拓シーン、『宇宙小戦争』の宇宙戦闘シーンなど)とのマッチングは、タイトルのネーミングづけとシナリオの構成のどちらを先に行ったか判断しかねるくらい、抜群のクオリティだ。さらに、固定されたキャラクターや制限のあるストーリーと新しい要素を作り続けるのが難しい中で、設定や構成だけで変化を付けることに成功しているのは凄いの一言に尽きる。 |
| シナリオ |
「大長編」シリーズは本編とは違い、日常の生活を描くものではない。大抵は舞台を別の場所に移して起こる冒険であり、その為本編よりもさらにドラマチックなストーリーが完成する。しかし、全編を通して読んでみると、その異世界からどうして現実(現代)世界に帰ってこれないのか(逃げてこないのか)という点でいくつかのパターンに区分することができる。まず一つ目は「地球を守るため」であり、『海底鬼岩城』『鉄人兵団』『竜の騎士』『雲の王国』『銀河超特急』など、のび太たちが地球を救うため活躍すると云ったものである。二つ目は「人助け」であり『宇宙開拓史』『魔界大冒険』(ドラミ登場以降)『日本誕生』『アニマル惑星』『夢幻三剣士』『創世日記』『ねじ巻き都市冒険記』がそれに当たるが、これはのび太たちの「人の良さ」が生み出したものである。しかしいかにのび太が人の良いことで知られているといっても、その人助けを行うための前提を上手く描かなければ全く説得力が無くなってしまう。事実、『宇宙開拓史』『魔界大冒険』まではそれが上手くいっているのだが、『日本誕生』でやや無理が出始め、『アニマル惑星』からはほとんど破綻してしまった。
そして3つ目が一番オーソドックスであり、インパクトを生んだパターンでもある「道具のトラブル」である。これはいわば「ドラえもん」という作品自体の最も大きな特長を生かしたもので、それぞれの作品も実にドラマチックに仕上がっている。『恐竜』ではタイムマシーン、『大魔境』ではどこでもドア、『魔界大冒険』ではもしもボックス、『宇宙小戦争』ではスモールライトが何らかの形で紛失するのだが、これらの道具は全て本編でもすっかりお馴染みである超A級のメジャー道具であるのが面白い。もちろん本編でこれらが無くなることは滅多になかったわけで、限りなく波乱の少ない、日常を淡々と描き続けてきた本編あっての手法であるといえよう。しかしこの手法は『ドラビアンナイト』で四次元ポケットを、さらに『ブリキの迷宮』でドラえもん自身をなくすことで行き詰まってしまう。これ以上メジャーな道具がなくなったことで、『ブリキの迷宮』をもってこのシリーズの更なるステップアップは望めなくなっていたことを露呈してしまった。事実これ以降の作品は、今まで登場したことのない新しい道具を作り出すことによって出来上がっており、大長編とはいうものの、本編と何ら変わらない世界を表現しているにすぎない。
転換点といえば、映画でも一つの区切りとなった『日本誕生』だが、やはり漫画でもこの作品を境に大きな転換点を迎える。少なくとも幼児向けとは云えない内容であった前9作はスリルと迫力の冒険アクションであるのに対し、後半は子供に夢を与えるための幻想ドラマとなっているのがその最も大きな要素だが、それぞれの作品に出てくるキャラクターたちとの心の共有が薄くなっているのも見逃せない。もちろん後半の作品でものび太たちは異世界のキャラクターたちからひきとめられるし、名残を惜しむシーンもないわけではないが、関係が稀薄であるためか、そういった場面がほとんど印象に残らない。キャラクターのセリフもうわべだけの社交辞令的のように映り、どうしても物足りなく感じてしまった。
「大長編」は子供漫画といっても、幼児を中心とした低年齢層だけを対象としたものではないことは明白である。詳しくはあとでも述べるが、本編を知らないとわからないネタが多数登場する(ドラミや出来杉の存在、キー坊の登場、のび太の射撃の腕前など)ことでもそれは確認できるのではないだろうか。しかしながら『ドラビアンナイト』以降の作品は、明らかに低年齢層をターゲットにしたと思われる題材が選ばれている。「子供に夢を」が子供漫画の基本的なコンセプトであるのであればこれは正しい傾向なのかもしれないが、実際的・内容的な面白さはどんどん薄れていってしまったように感じる。無論、「夢」を描けば強敵や苦労、苦難は必要なくなるわけで、そうしてことで緊迫感が徐々に欠けていったことも作品の面白さを消してしまった一因であるのはいうまでもない。 |
| キャラクター |
のび太、ドラえもん、しずか、ジャイアン、スネ夫のレギュラーメンバー5人をのぞいた、いわば「ゲスト」的なキャラクターは圧倒的にシリーズ初期のクオリティーが高い。
『恐竜』のピー助は結局最後までしゃべらないことであくまで「友達」ではなく「ペット」として扱っていることを明確に表現しているにもかかわらず、その限りないのび太の「やさしさ」が薄れることはない。これは云うまでもなくピー助というキャラクターが非常に完成度が高いためであるのだが、それを読み手に意識させない手腕は実に見事であるといえよう。
『宇宙開拓史』ではロップル君よりむしろチャミーのほうが個性的ではあるが、注目したいのはのび太とロップル君とが友情で結ばれているのに対し、ドラえもんとチャミーは愛情に近いもので結びついている点である。キャラクターそのものの個性よりもシナリオを含めたバックボーンでキャラクターを表現しているところが実に上手い。
『大魔境』はペコの個性が薄いことを補うべく、レギュラーメンバーのジャイアンを駆使している。無論これでは低年齢層に受けるはずもないが、逆に作品の完成度は高いレベルを保っている。シリーズの中にはこういった多少の変化は不可欠であろう。あまり個性的なキャラクターばかりを連発させるのも、逆に作品自体の個性を失わせることになりかねないからだ。
『海底鬼岩城』はエルを含めたゲストキャラクターの個性を、バギーが全て消してしまった。圧倒的なキャラクター性の前では他の要素は無力であることの証明であるが、しかし他のキャラクターたちがいい加減に描かれているわけではなく、脇役として十分に活躍している。目立たない点をおざなりにせず、全てを精密に描いている端的な証拠である。
『魔界大冒険』はシリーズ中では「平凡な準主役」に陥ってしまう美夜子を、あえてネコの形で描くことによって、非常に魅力的なキャラクターに仕上げた。意外性とビジュアル面にこだわった作品で、全体的に悲壮感の漂うシナリオとも上手くマッチしている。シナリオからではなく絵からキャラクター付けをした、作者にしてはめずらしいケースだ。
そして『宇宙大戦争』で大長編シリーズの完成度はどうやら頂点に達する。大統領というビジュアル的、性格的(真面目なだけであまり目立たない、没個性的)にはあまり意外性のないパピに対し、立場は「大統領の愛犬」ながら、飛ぶ犬というビジュアル面、おしゃべりという性格面で非常に個性的になったロコロコという2つの準主役を上手くつくり上げた。さらに彼らを入れ違いで登場させることによって、シナリオ面でもキャラクター性を強調させるという念の入れようで、悲観的で後方支援に徹するスネ夫と攻撃的で善戦で突破を担うジャイアンの対比も面白い。
さらにこの『宇宙大戦争』では、常にくっついていたジャイアンとスネ夫を初めて別行動させたところに非常に大きな意義がある。つまりこの作品によって2人セットにしなければそのキャラクターがハッキリしなかった(それまでは「のび太をいじめる2人」であった)彼らが、それぞれ一本でもやっていけるようになったことが証明され、これ以降の作品はレギュラーメンバーでは大きなドラマは期待できないことを暗示している。事実『鉄人兵団』はミクロスにスネ夫の性格を強調(オーバーラップ)させることでそれを決定的なものにさせているし、『竜の騎士』からは彼らの動きに明らかに冴えが無くなる。レギュラー以外のキャラクターも同様で、「ペット」が『恐竜』以来再び登場した『日本誕生』では、せっかくのハイセンスなビジュアルをシナリオが生かし切っていないし、『雲の王国』ではついに本編のキャラクター(キー坊など)を引っぱり出す羽目になってしまった。『鉄人兵団』でタイトルが初めて「のびたの〜」ではなく「のびたと〜」になったのも、そんな不具合を示唆しているかのようだ。
一方で、作品全体を通して読んでみて興味深いのが、出木杉の登場頻度が異様に高いことである。特にシリーズ前半は多分に科学・歴史など予備知識を必要とすることが多いが、その説明部分を彼とドラえもんとで分け合っている印象がある。出木杉は『宇宙小戦争』などで持ち味やキャラクターを上手く利用しながら登場していて、説明役としてのみに使われているわけではない、という反論もあるかもしれないが、出木杉以外にも先生やミクジンをはじめ、明確に説明役として定義付けされているキャラクターがある点を考慮すると十分な意見ではない。 |
| グラフィック |
「ドラえもん」とはオーソドックスの世界である。決して斬新な手法を使ったり奇をてらうことなく、あくまで基本に忠実に、それでいてロマンチックでドラマチックなシナリオを築き上げていく。これはグラフィック面でも同様で、実に精錬された絵柄を淡々と描いていくのだ。その姿勢は最後まで変わらず、そのためシリーズの最初から最後まで絵柄の変化がほとんどない。無論デザイン面の変化などは時代の移り変わりと共に多少出てはくるが(『宇宙開拓史』の宇宙船などはさすがに古臭い)、決して違和感を感じるほどのものではなく、むしろ過剰に時代の流れを生み出すことのない、普遍的な作品として高く評価したい。
逆に、本編とくらべても一つの作品としての統一されたイメージがあり、その端的な部分としてカット割りの工夫が挙げられる。本編は学年誌に連載されていた関係もあり、対象年齢によって1ページ当たりの段数を変えていた(低年齢向きには3段、高年齢向きには4〜5段)。大長編シリーズはもちろん4〜5段で描かれており、したがって高学年以上を意識して作られたものであるということになる。初期の作品のシナリオもスリルと冒険を描いたダイナミックな内容になっており、残念ながら後期の夢とメルヘンを中心とした低年齢層向きの作品がシリーズとしての統一イメージを崩す結果となってしまったとことが、改めて浮き彫りになった。
もう1つの特徴的なのは、とにかくそのスピードが速いことだ。「引き延ばし」という概念がハナから存在しないかのような、限界まで省略されたカット運びはとにかく見事で、まるで「はしょる」ことに全力を注いでいるかのようだ。無論、遊びのカットもないわけではないが、スムーズな展開を得るために相応の工夫もなされている。それでいてカット不足によるシナリオ面での物足りなさや過省略によるストーリーの破綻が一切ないのだから凄まじい。
また、いわゆる「マンガ的」な手法が多く使われているのも注目したい。これは本編にも云えることだが、スピード線や動作線など最も基本的なマンガ線を非常にシンプルに使用している。大ベテランならではの技法で、ここでも奇をてらわない堅実な手法が功を奏した形だ。 |
| 装 丁 |
第一巻以来、統一したイメージで作られたカバーはどれもデザイン面で非常に優れている。表紙の絵はどれも内容を表現するのに相応しく(なぜか全巻共にのび太ではなくドラえもんが最全面に描かれているのが気になるが)、裏表紙のシルエットもなかなかいい雰囲気を出している。残念なのは背表紙で、トータルでの色バランスが悪い。できることなら上部の色だけでも統一して欲しかった。余談だが、「てんとう虫コミックス」をローマ字で書くと非常に野暮ったく感じる(長音が入るため)。途中から変わったロゴといい(てんとう虫でも何でもなくなってしまった)、単行本の雰囲気を壊してしまっているのは残念である。 |